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いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

ことども

というわけで、先生竹とのつきあいはようやく一年を超え、私はイソジに足を踏み入れた。と思ったら、春たけなわのようなぬる湿った日、雪がビョウビョウと吹き降る日がイレコテレコ。地面に黄金を撒くような如月の陽射しの裡に竹は啓蟄の気配を漲らせ、律が引っ越し準備を始めているようで甲ロの落ち着きどころが日ごとに違う。どころか、こりゃ明らかに行き過ぎだ、という日も(何が行き過ぎかは書かないが)。先生竹と出合ったのは一年前の三寒四温、こんな不安定な季節であったのか。

去年の今頃は、5月に予定されていた恒例の早大邦楽サークルOB演奏会・有楽伯が中止になるなどとは思いもよらず、ウイルスだって、やだねえ怖いねえ、からのあれよあれよ。同じような場所で足踏みをするうち、好むと好まざるとにかかわらず一年分の移動は済ませてしまったのだなと。ま、それの単純な50倍、が私の来し方ではある。


LX100

ときに、アナクロの極みとされる元首相の失言はそれなりに大きな波紋を世に及ぼしたが、あの騒動のおおもとにあるものはきっと、性差別!と声をあげるだけでは解決のつかない、意外なほど深い問題。さかのぼっていけば「男女の、ひいては人それぞれの違いをなんらかの手段で表現すること」の可否を問うているように思う。となれば、此岸にもその波は打ち寄せる。

例えば中島みゆきが「歌姫」に歌う「女はいつも嘘が好きだね/昨日よりも明日よりも嘘が好きだね」。誰であれ、こんな詞を発しようとする者が有形無形のプレッシャーを蒙る日が来るとしたら(いかにも来そうではないか)、それは少なくとも昭和のオッサンにとっての悲劇だが、今このヨノナカを均せばもはや、男女の違いはもう大きな差異として認識されていない、もしくは、差異と認識することが悪と分類されつつあるのかもしれない。この当てずっぽうがたまさか当たっているなら、そりゃ晩婚にも少子にもなるわなとは思う。ほぼ同じなら、二つの性をわざわざくっつけ合わせ、苦労して共白髪まで暮らす要は、子をなすという行為以外に見つけづらくなる。人々は「地球へ…」「マトリックス」のような、人が生産、あるいは栽培される世界へ進むのか?よしなし、よしなし。

オノレの中のアナクロとの戦いは難しい。ジジイをただ時代遅れと斬って捨てているうちはパラダイム転換など遠いヨノナカ。古くて時代遅れなのがジジイであるのだから、そんなところを攻めても是非はないのだ。ミャンマーのどうしようもない腐敗と、それも致し方なしとさえ思えてしまうグチャグチャの歴史に嘆息しつつ、圧政横暴に立ち上がる国民を「若くていいなあ」と羨む、静かに老けてしまった国の我。
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プロフィール

HN:
河宮拓郎(カワミヤタクオ)
性別:
非公開

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