久しぶりに神戸の西の端、垂水に帰ってみたらば、駅前にバベルの塔よろしきタワマンが完成し、とうとう「垂水廉売市場がない景色」が露わになっていた。時代遅れもいいところ、ただ懐かしいばかりの市場を残すべきだったとは思わないが、垂水銀座と垂水センター街の交点に「タルミ花園」を営んだ祖父母の孫としては、寂しい思いを押さえ込むことはできない。
かつてのタルミ花園の真ん前、垂水小学校も建て替え工事中で、モダンな新校舎が道路側(かつてのフェンス側)ギリギリに迫る威容を誇っており、卒業生でなくても(私は高丸小学校卒)ちょっと悲しくはなったのだった。とはいえ、駅からそう離れずとも昭和まんまの界隈がソコココに残る垂水は、時がゆっくり流れているほうの街ではあるだろう。あの断層が淡路島からいま少しでも北向きに延びていたら、今の垂水は全くこうではなかったはず。
実家をナントカせねばなあ…。可能なら垂水に「も」住みたいのだけど。
LX100 どうしてもこの絵を撮らされてしまう詩仙堂。あざとい。
その前週に、九十九里でお稽古を受けてきた。毎度まいど、おかしなクセばかり身につけていることを指摘されなければ分からない自分に嫌気が差すのだが、この年になっていきなり、おっと今ヤッたなと気づけるようになるはずもない。諦めて、稽古の録音をせいぜい咀嚼するのが私の道というものだろう。今回指南をいただいたのは、一二三と遠音。それぞれ何十回稽古をつけていただいているのかもうまったく分からないが、師匠の前で吹くたびに「なってない」がいくらでも出てくる。
一二三については、おととし、ちょっとなにかを会得しかけた感触があった地点にようやく戻りつつあるようには思う(まだ戻れてはいない)。遠音はこの日曜に大勝負だが、こちらはまだまだだなあ。吹いているのは私だが、私の音楽だと胸を張れるかというと怪しい。要所を正しく押さえて、あとは尺八的・音楽的良心に従って随意に吹け、が私の思う琴古流でありながら、要所を押さえるのに何十年かかるのやら。そういえば、大学4年の時の定演では無謀にも師匠との遠音を舞台にかけたものだった。いまより30年以上若い遠音、録音が残っていなくて幸いだ。なんしか日曜までの残り数日で、あと半歩。
閑話。前稿で LX100 のことを書いたら、直後、モデル名は変わったがどこを叩いても後継モデルである L10 が現れた。飛びつきたい気持ちを、一眼ボディ並み、V10の倍近い価格が通せんぼする。ズーム高級コンデジはいよいよこれで打ち止めならんとは思えど、大雑把に言えばレンズ同じ、センサーサイズ同じ、画素数とエンジンがアップグレードされたカメラにその値段…今は…出せん…。このカメラの最大の美点は間違いなくレンズであるし、その良さは12年も前に発売されたLX100で充分に味わえてしまうから。